ヒストリエ作者・岩明均先生の経歴




ご存知の通り「ヒストリエ」の作者、岩明均先生は
10年ほど前に寄生獣でその名が広く知れ渡った(と僕は思ってるが・・)漫画家だ。
では寄生獣が出る前はどんな作品を描いていたのか?

寄生獣とヒストリエの間は漫画描いてなかったの?
という疑問も(たぶん)あるだろう。
ということで、このページでさらっと岩明均先生の経歴をさらっと触れておく。
ただしこのページは

ウィキペディア


を元に要約したため
もしかしたら間違った情報もある
かもしれないので、
間違いがあれば掲示板に書いてくれると、
非常に嬉しい。(^^*)
(まぁ色んなところでチェックしてるから、ほぼ確実のはず)



岩明先生の生年月日とか。

本名は「岩城 均」
1960年7月28日、東京都生まれ。
つまり、2005年現在、岩明先生は45歳。
(別に書かなくてもいいが・・)
ちなみに父親は和光大学名誉教授の岩城正夫。



デビューから「ヒストリエ」までの道のり

岩明先生は1985年、「ゴミの海」でちばてつや賞入選を受賞し、
その作品が『モーニングオープン増刊』に掲載され、デビュー。

そして1990年から、月刊少年アフタヌーン誌上で「寄生獣」の連載をスタート。
この作品は1995年まで連載され、
岩明先生は1993年に第17回講談社漫画賞を受賞、
「寄生獣」は岩明先生の代表作となった。
ちなみにいうと、「寄生獣」のアイデアは連載する大分前から、
おおまかな案は出来ており持ち込み用の案だったそうだ(寄生獣完全版五巻参照)。

さらに1996年に第27回星雲賞コミック部門受賞
(どうやら寄生獣でとったらしい)

その後、岩明先生は1997年から1999年まで「七夕の国」を連載。
さらに2001年「雪の峠・剣の舞」を発売
(雪の峠はモーニング新マグナム増刊・平成11年8号〜11号に連載、
剣の舞はヤングチャンピオン・平成12年8号〜12号に連載)

そして「ヘウレ―カ」を経て、現在アフタヌーン誌上に「ヒストリエ」を連載中。


しかし2005年現在「ヒストリエ」は1ヶ月20ページ程で、
しかも鉛筆書きと見られる 線も多々あって
「調子にのってる」と誤解されそうだが、それにはちゃんと理由がある。
岩明先生は描くスピードがそれほど速くないのだ(俗に遅筆ってやつ、)。
なので、「また半分ちかく鉛筆書きかよ!」とか言わないように。


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